1.革命と民主革命

 今日の世界において、革命という言葉に対し、深い恋慕の心あるいは懐旧の念を抱きながらも、他方で恐懼と警戒心を抱く者たちがいる――ある者は、「何千人、何万人ものを人々の命を奪った」がゆえに、今は反革命を行わなければならないのだ、という。またある者は、「人につき従って、一生涯を革命に捧げてきた」、ゆえに今からは、革命に別れを告げるべきときだ、という。西洋では、革命の成果を享受した数少ない人たちが、気楽に革命を否定している。東洋では、「革命」の迫害に遭遇した数多くの人たちが、革命を語ると顔色が変わる。なぜなら、近現代において、革命は世界を光明と進歩に導くと同時に、世界に暗黒と後退をももたらしたからである。革命によって人々は専制の圧迫から脱することができたが、また革命は同様に、人々を改めて専制強権のもとに置くこともできた。特に、我らが祖国の現代史の発展においては、革命によって専制王朝を倒しただけでなく、「革命」がまた、専制の暗黒という轍を踏み、「革命の名義のもと」、様々な専制の罪が、より一層ひどさを増して、際限なく出現した。そうであるならば、革命に対する一般的な歴史意義はどのように認識されるべきだろうか。異なる性質の革命に対し、どのように定義づけるべきだろうか。また、名をかたる劣悪なあらゆる「革命」とその来し方行く末に対し、どのように鑑別し、暴き出すべきなのか。とりわけ、民主革命とそれ以外の様々な革命とを截然と分ける異なる性質をいかに正しく認識するか。近現代世界が専制から民主へと向かう過程においてそれが果たした巨大な貢献、特に我らが祖国の現代史の発展に果たした功績、および我らが祖国が専制から民主への向かう艱難の過程において、それらが受けた曲解、改竄、そして打倒され、取って代わられたことの一部始終の経緯をいかに正しく認識するか。我らが祖国が辛亥革命以来、専制から民主へと向かう艱難の反復過程を正しく認識するという、歴史的な責任は我らの双肩にかかっている。

 では、革命とは果たして何なのか。

 その本来的な意義について言えば、革命とは「天命を変革」することであり、「天に順(したが)い、人に応ずる」(順天応人)ために君主を替える、あるいは王朝を替える政治行為である。「湯武革命、順天応人」はその明らかな例である。農民の造反もまた革命と称されたのは、それが往々にして君主あるいは王朝の交替を促したからである。そして、君主の交替と王朝の創始という革命の意味はしだいに広がり、「社会変革と制度変更」の意味を与えられたとき、革命は、社会変革と制度変更の1つの普遍的な歴史プロセスとなった。仮に、中国の伝統的な農業社会の歴史範疇全体において、春秋戦国時代が分封的な専制体制すなわち封建制から中央集権的な専制体制すなわち君主制へと向かう長い道のりであり、社会変革と体制変更すなわち「天命変革」の重要な意義を有しているとしても、それはあくまで伝統的な農業社会の範疇内に属するものであり、専制政治の変遷と専制制度の発展に他ならない。近現代に至り、世界各国が専制から民主へと向かうプロセスは、政治制度の変革という意義を有するのみならず、それ自体、民主制度が専制制度に取って代わる1つの偉大な革命となった。同時に、それ以来、革命という言葉は思想、文化、宗教、政治、経済、科学技術、産業など、社会領域のあらゆる決定的な発展や重要な変革を形容するものとなった。その突進的な発展状態は、往々にして革命という一語によって括られ、形容された。英語のrevolution――革命、突進という単語とevolution――進化、漸進という単語の区別はまさにここにある。そこで、我々は革命に対してこのような定義を下すことができる。まず、革命は――それがいかなる形式であれ、すべては歴史の1つの普遍的な変革過程である。次に、革命はまた、この歴史変革の過程を迅速に、甚だしきにいたっては強制的な進行させるという意義をも含んでいる。もし革命が間違いなくこの2つの意味をあわせもっているのならば、我々はこれに基づいて、さらに一歩進んで異なる性質の革命と、異なる性質の革命によってもたらされた異なる歴史発展を分析することができるだろう。特に、旧専制制度を変革し、新民主制度を創建するという民主革命の意義を考察しなければならない。

 第一に、社会政治変革――革命の本義を最も体現するこの普遍的な歴史変革の過程から言えば、革命には伝統型革命と近現代革命の区別があると言わなければならない。伝統型革命の最も普遍的なそれは、宗教革命と農民革命である。前者はヨーロッパにおいて比較的普遍的であり、後者はアジアにおいてしばしばしばしば盛衰を繰り返した。両者はいずれも伝統農業社会によって生み出されたものだが、宗教革命は近現代革命の興起に対して、歴史的な先触れの役割を果たした。あるいは、こう言うこともできるだろう、カトリックの教義とカトリックの専制統治に反対する中世末期のヨーロッパ人民の宗教改革なくして、後の思想解放運動とそれによってもたらされた民主革命はなかった、と。農民革命は確かに被圧迫・被搾取農民のために自ら危険を冒す行為であり、歴史の同情を買うものではあるが、「しかし、その目的は王朝交代という本質にあるのであって、伝統的農業社会の自己調節の一種の歴史的方式に過ぎない」[1]。中国歴代の農民革命は早くからすでに繰り返しこの真理性を証明してきた。封建制つまり分封型の専制体制から、中央集権型の専制体制すなわち君主制への移行過程にしても、六国の滅亡と秦王朝の統一にしても、ドイツ領邦の消滅と第二帝国の建設にしても、日本の廃藩の成功と天皇集権制度の確立にしても、「天命の変革」の意義を色濃く有しているといえども、それらはいずれも伝統的農業社会全体の範囲内における専制制度の自己変革に過ぎず、自己改善である。ゆえに、それは専制制度の変更に過ぎず、専制制度の消失ではない。だからこそ、近現代革命、特に民主革命の意義を有しないのだ。

 第二に、近現代革命は16世紀のオランダ(ネーデルランド)革命をもって始まる。その後、ヨーロッパにおいては17世紀―19世紀にかけてイギリス、フランスなどで民主革命が、また19世紀にはマルクス主義思潮によって扇動された共産主義革命が起きた。19世紀―20世紀、東欧とアジア、特に中国とロシアにおいては、専制統治を打倒する革命が勃発したのみならず、共産革命をも誘発した。アジア、アフリカ、ラテンアメリカにとって、20世紀は民族革命、人種革命、そして民主革命が互いに交差しながら発展していった新時代であった。このように、革命は異なる性質を呈するのみならず、異なる性質の革命はさらに異なる歴史発展をつくり出した。民主革命は専制制度の滅亡と民主制度の誕生をもたらした。民族革命と人種革命は民族の独立と人種の解放を推し進めた。思想、文化、科学技術、産業などの様々な領域の革命は、間違いなく世界の進歩と繁栄に対して多大なる貢献を果たした。共産主義革命は、革命の名義の下にロシアとアジアに伝播し、遅れた伝統農業国家に現代の専制的全体主義統治を再建した。様々な革命のうち、あるものは全世界に民主と科学進歩の新たな情景をつくり出し、近現代世界の専制から民主への移行を突き動かした。他方で、あるものは我々のこの世界に新たな困難と苦境とつくり出したのみならず、一部の国家と地域の専制から民主への移行に、新しい艱難と苦痛の過程をもたらした。

 第三に、上述の様々な革命の中において、間違いなく言えることは、まさに民主革命がヨーロッパで興起したからこそ、封建専制制度と君主専制制度に対する偉大な政治変革がもたらされたということである。そして、民主革命が一部の国家において勝利を収めたからこそ、迅速に自由経済の発展を推し進めることができた。この変革と発展は、もはや決して伝統農業社会自らの歴史範疇内の社会変革あるいは体制変更ではなく、また専制統治方式の発展、改善あるいは強化でもない。それは、伝統農業社会自らの政治形式と経済形態、すなわち専制制度と農民の小生産から、現代工業社会自らの政治形式と経済形態、すなわち民主主義政治制度と自由主義生産経営方式の歴史的移行に他ならない。それゆえに、民主主義政治制度と自由主義生産経営方式の歴史的移行は、決して新王権をもって旧王権に代え、新王朝をもって旧王朝に代え、新専制政治をもって旧専制政治に代える、反復される変革ではない。それとは正反対に、民主をもって君主取って代え、自由をもって独裁に取って代え、法制をもって専制にとって代え、平等をもって特権に取って代える真の革新である。一言もってこれを蔽えば、新しい民主主義社会制度をもって、古い専制主義社会制度に取って代えようとする革命である。これこそが、民主革命の真の定義であり、他のいかなる性質の革命とも異なる民主革命の本義が存するところである。著明なフランスの歴史学者・ミリエがフランス大革命を評して言っているように、「革命は法律をもって横行跋扈に代え、平等をもって特権に代えた。革命は人々を階級の区分から脱却させ、国土から行政区画の壁を除去した。工業はギルドとギルドによる監督の制限から逃れ、農業は封建的隷属関係を脱し、十分の一税の重圧を免除され、財産は恣意的な継承者の指定を許さない。革命はすべてを一つの階級、一つの法律、一つの民族に帰したのだ」



[1] 高爾品、長編小説『少夫人達琳』261頁。人民文学出版社、北京、1989年7月第1版。

 

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