2.復辟と専制復辟

 何をもって復辟というのか? 復辟の一般的な歴史的意味はどこに存するのか? どのような復辟こそが専制復辟なのか?

 「辟」は中国古代文字において、帝王と帝位を指す。復辟とは、すなわち君主の復位を指し、失った帝位に復帰する意味を含んでいる。我が国明代中葉の土木の変以後、捕虜となった後に朝廷に戻った英宗が景宗に帝位の返還を迫ったやり方が、典型的な復辟の行為であり、復辟という言葉が本来もっている意味が直接的にあらわれたものでもある。だが、復辟という言葉の意味は次第にその範囲を広げていった。第一の派生は、王朝の復帰を指す。それは、英国のスチュアート朝やフランスのブルボン朝の復辟のように、特定の帝王個人の復位のみを指すのではない。第二の派生は、旧制度の再建、あるいは新制度によって打ち負かされ取って代わられた後に、旧制度が反転して改めて再び新制度を打ち負かし、旧制度を回復することを指す。秦の始皇帝による中国統一後、六国の旧諸侯は死を冒して再びの分封を要求した。つまり、分封型の専制体制への復辟という願望を堂々と表明したのだ。英国、フランスなどにおいて民主革命が勃発した後、打倒されたスチュアート家やブルボン家の人々は、王朝の復辟を要求したのみならず、王政の復辟、すなわち君主専制制度の全面的復帰を実現するべく尽力した。このやり方は、君主専制制度復辟の典型的な例証を示している。同時に、旧君主、旧王朝によって君主専制を復辟させるのではなく、新君主をもって新王朝を建てるという方式によって君主専制を復帰させるのも、旧君主専制制度の復帰であり、同様に専制制度の復辟に他ならない。中国歴代の農民起義は、朱元璋が建てた大明王朝にせよ、洪秀全が建てた太平天国にせよ、あるいは袁世凱によって帝制が復辟された短命の中華帝国にしても、それらはいずれも帝制の復帰であり、すべては旧君主専制制度の復辟に他ならない。近現代の一部の国や地域においても、革命によって旧君主、旧王朝と旧専制制度を打倒したとはいえ、ある種の政治力が大勢に乗じ、潮流に従って政党を建て、共和を叫び、民主を唱え、そして革命の名義をもっていわゆる「民主共和」の国を建設した。しかし、彼らが権力掌握後に改めて新しく専制制度を構築し、専制等級をつくり直し、専制統治を励行している限り、表面上と形式上においていかに現代的な色彩を飾りつけようとも、実際においてこれらは専制制度の復辟以外の何ものでもない。レーニン、スターリンの共産専制ロシア、ヒトラーの国家社会主義の看板を掲げた第三帝国、東欧・中国大陸・東南アジアの一部の国および地域において、偽共産革命のスローガンのもとに建設された現代専制全体主義制度、そして、70年代のイランにおいて、教権専制統治をもって王権専制統治に取って代えた事実は、このことを鮮やかに証明する歴史的事例に他ならない。このように、復辟には異なるレベル――君王の復位、王朝の復帰、制度の原状回復などがあるが、結局のところ、専制復辟は専制制度の復帰であり、それはいかなる人、いかなる党、いかなるスローガンのもとにおいても同じである。これこそが、専制復辟の本義が存するところである。

 

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