本書には、一人の人間が独自に歴史の真相を探究した成果が繰り広げられている。
辛灝年氏は1947年に生まれ、武漢大学中文系を卒業している。あの時代の中国の青年たちと同じように、文化大革命は彼の学業を中断させ、その夢を潰えさせた。彼は必死に生きる中で、自学と著述を続け、一人の作家となったばかりでなく、作家の中の学者となった。
1976年以来、辛灝年氏は長編小説や短編小説集も含め十冊以上の小説を出版しており、二十編近い学術論文を発表してきた。このような著述家としての成功により、彼は早くより中国作家協会会員ならびに安徽省作家協会の職業作家に選ばれ、さらには中国作家協会から第一級作家(教授レベル)との評価を受けた。1994年初め、辛氏は北方のある著名大学から教授として招聘されたが、彼はその任を受けることなくカナダへと赴き、トロント大学の客員研究者となった。
ずっと以前、長編小説『辛亥の後』を書くために辛氏が中国現代史を研究し始めたとき、現存の歴史叙述は深い闇に覆われていることを彼は発見した。ここから、彼は歴史の真相に対する探究を始めた。1984年から1994年までの10年にわたる歳月の中で、一方で彼は現有の研究著作の掘り下げと解読に努めると同時に、何とかして公開が許されていない歴史資料に触れ、その理解と収集に努めた。他方で、奮闘の心を抱きながら、中国大陸の史学界と民間において、偶然にも巻き起こった歴史再考の潮流とその新しい成果に切実な関心を注いだ。さらにはまた、歴史問題の核心部分を摘出するために、彼が若いときに独自に学び研究したことがある西洋思想史、特に近代ヨーロッパ民主革命と共産革命の歴史、ならびにそれらが中国国民革命と中国共産革命に与えた影響に対して、独自の再研究と再探究を行った。これは、彼が中国現代史の曲折ある発展と反復過程を理論的に詳細に検討し、理解する上で必要な思想と学識的基礎を定めた。
その後、辛氏はついに彼の思想を著作として書き上げた。私は、幸いにもコロンビア大学の東アジア研究所の客員研究者であった彼に出会うことができた。そして彼は、学長の特別な許可を得て東アジア研究所の歴史学研究員として招聘された。
コロンビア大学において、辛氏は全精力を本書の著述に投入し、毎日十数時間も費やした。いかなることも、彼が自ら発見した歴史の真実を紙の上に書き上げるという公の使命を妨げることはできなかった。丸々三年の歳月をかけて、やっと今読者がすでに手にしているこの著書を完成させることができたのだ。
彼の著述は非常に広範な研究に基づいており、一つの厳粛な学術著書であると言えるが、辛氏は主題を扱うにあたっては、献身的な精神を持った愛国的中国人を体現しており、決して単なる独りの学者のスタイルはとっていない。彼は、二十世紀中国の歴史舞台において、かつて民主化の推進を助けた役者たちと、民主化を破壊し阻止した役者たちとを識別しようとした。そのために、まず直面するのは、孔子が言うところの「正名」(名を正す)である。つまり、民主とは何か? 辛氏は「民主専制」のような相矛盾する概念を信じない――これは純粋な独裁でしかありえないと彼は考える。これに異なり、孫中山の思想こそが民主の思想であると彼は考える。中国および西洋の伝統を引き継いだ現代中国の歴史家たち、つまり、常に蒋介石を譴責し、孫中山を放棄するという価値を持った歴史家たちと、自らとの間に、辛氏は一線を画したのだ。さらには、まさに蒋介石と無数の反対者たちとの闘争があったからこそ、民主と民主化の艱難の過程を守ることができたのだとさえ、辛氏は論ずる。のちに共産党に敗北したが、それは孫中山と彼自身の誤った策略がもたらしたものであり、当然のことながら、最も根本的な失敗原因は、やはり日本の侵略戦争によってつくられたものである。
辛氏は執筆に身を捧げる人であって、決して活動家ではない。知識人の任務は真相を明らかにし、そのことによって自国の国民、特に若い人たちが、この国の未来を正しい方向に導いていけるようにすることだと、辛氏は考えている。
昨年以来、辛氏は本書の初稿を完成させた後、意見を求めて真摯に改めるため、招きに応じて米国とカナダの多くの大学で講演した。これにより、彼の思想は熱烈な反響と受容を得た。今では、彼の著書はすでに出版されており、その思想がさらに広範な読者に接し、影響を与えることを望んでやまない。
1997年8月11日 米国コロンビア大学にて