作家・鄭義氏の序文


 これは一つの傑出した歴史学の著作である。


 その出現は、中国の精神と現実を震撼させることだろう。


 1994年春、辛灝年は本書の要綱と資料を携え、中共軍警の眼をかいくぐって関門を突破し、新大陸に向かう飛行に飛び乗った。飛行機が離陸し、高度1万メートルの上空に到達してはじめて、心の平静を取り戻した。私の人生においても、屈辱と正義が衝突する同じような場面を経験したことがある。彼とは二十年来の旧友だが、私が知っているのはただ小説家の高爾品であり、歴史家の辛灝年ではなかった。勇気と学説は二つの事柄であり、道徳の勇気を学説の価値と同一視することはできない。初稿を目にした時、あたかも責任を果たして肩の荷を下ろしたかのようであった。ここに、まさに中国の歴史を変える著作が誕生したのだ。


 辛灝年氏は、少なくとも以下のいくつかの方面において、特有の貢献を果たした。


 まず、「民主革命史」体系の構築である。世界史には早くよりすでに以下のような例証がある。英国革命はおよそ半世紀かかった。フランス大革命は1789年のバスティーユ牢獄襲撃から1875年の第三共和国による民主・自由・共和の確立まで、一世紀近い血戦が続いた。ロシアは1917年の二月革命から1991年のソ連崩壊、民主への回帰まで、血生臭い弾圧が4分の3世紀という長きにわたって続いた。各国の歴史に見られるこれらの断章は、一人の中国の歴史家の独創的な研究を通じて、斬新な解読を得ることができた――民主革命の最初の勝利は、必ず専制勢力の反抗と復辟を招く。創始された共和国体は、異なる名義の専制勢力によって完全に転覆されることがある。復辟期の専制勢力は極めて狂気じみており、専制政治を歴史の狂気的段階にまで推し進めていくことさえある。民主と専制の繰り返される対決は、民主革命の全過程を貫くものであり、それは民主制度の最終的な確立まで続く――辛灝年氏は全歴史的な概念を用い、民主革命を一つの即時性をもった孤立的な歴史事件としてではなく、一つの歴史性をもった長い歴史運動として理解しようとした。そして、これら「世界的な意義をもつ歴史現象」は、世界的な意義をもった歴史法則へと高まった。一つの簡明精緻にして壮大な座標はこうして打ち立てられた。簡潔にして仔細まで透徹しており、鋭い切れ味をもっている。かつて何人もの思想家を困らせたいくつかの歴史の謎は、ついに答えを得ることができた。最後に原稿を確定させるまでの間、辛灝年は北米の多くの大学で講演し、大きな反響を巻き起こした。毎回、彼が導入部で自らの理論の枠組みを話し出すと、あるいは、彼が「中華人民共和国」を辛亥革命から始まった「中国民主革命史」のなかに組み入れて語り出すと、よく聴衆がはっと悟って、次のように質問した、「中共の革命は、実は一種の専制復辟であるとあなたは言っているのですか? 中共は民国史における乱世に過ぎないとあなたは言っているのですか?」と。


 これこそが、理論の力である。


 19世紀の歴史全体が、フランス大革命の旗のもとに進行した。同じように、武昌における最初の蜂起の銃声からブダペストの街頭を走っていく武装蜂起者のトラックまで、グダニスク(ポーランド)海港のストライキの汽笛から一夜にして崩壊したベルリンの壁まで、そして、モスクワの赤の広場で砲口を向けた戦車から、長安街でバリケードと人民の怒りの炎によって燃やされた装甲車まで――20世紀全体もまた、フランス大革命の影響下から脱していない。もしこの二世紀以来、人類が確かに自由・民主・人権のために絶えず奮戦してきたのであれば、我々は民主革命史によってこの期間の歴史を抽象する理由を得たことになる。多くの複雑で入り乱れた歴史事件は、すべてこの体系のシンプルな座標の中に置くことができ、より明解な説明をすることができる。体系に組み入れる前においては、歴史事件は単なる孤立した、意味不明な「メッセージ」に過ぎなかった。1992年、チェコスロバキアのハヴェル大統領は「現代という世紀の終結」と題する演説の中で、次のように説いている。共産主義の終焉は、19世紀から20世紀に至る一つの主要な形態を終結させただけでなく、現代という世紀全体に終止符を打った。共産主義時代の終焉という、人類にとって最も重要なメッセージは、「我々がまだ完全に解読できていない、理解できていないメッセージである」。私は、究極の真理を崇拝するという境地に至るほど愚かではないが、辛灝年の理論は、理に適った解釈を提供している。


 第二に、歴史事実の再発見である。辛灝年氏は一人の著名な小説家であり、たまたま歴史に足を踏み入れた。心のよりどころとなる長編歴史小説を構想するため、彼は一生の中で最も貴重な20年を投入しようと計画した。前半の10年は研究し、後半の10年は著述する。そのため、各級の档案館、図書館に奔走し、膨大な数の現代史の史料の海に没頭した。彼は2年の歳月を費やして、『中華民国編年史綱』と『中国近代史大事記』を編纂し、多大な精力を傾けてマルクス・レーニンの経典と西洋哲学史を再読した......彼のこのような一歩一歩の地道な戦術のもと、イデオロギーの蔓は次第に切除され、歴史の林がついにその原生状態を露わにした。この時、それまで征服されていた歴史は逆にイデオロギーを征服した。怒りの狼煙があがり、血涙がほとばしり、永遠に拭いきれない冤罪を嘆く。その流れは現代まで続いており、あまねく大地を汚染している。彼は心の戦慄を抑えながら、初心を改め、毅然として歴史著述を開始した。この時、辛灝年はすでに5つの長編小説と3つの小説集を出版しており、成熟した作家のピーク期を迎えていた。このような人格、才覚、思弁能力がいずれも群を抜く作家と、デマが充満する歴史との遭遇は、激突と爆発を必然的に招く。長き零落を経てのち、中国現代史はついに忠誠を尽くすべき守護者と代弁者を見つけることができた。


 初稿を読んで、私は同じように幾度となく徹底的に自らの立場と観点を転換させられる痛みを経験した。社会学の著述を進めていく中で、私はすでにおおよそ近現代史を理解しているつもりであったが、懐疑と震撼に襲われた。一つ一つの人物事件の細部が、そのたびごとに私を長嘆させた。いかにしてここに至ったのか! いかにしてここに至ったのか! ここから一つの結論を得ることができる――(かつて生きていた人を含む)閉ざされた社会の中に生きる(知識人を含む)誰もが、知識という二字を軽々に口にすることは憚られる。


 あらゆる部分の歴史は、すべて現代史である。これは冷静沈着な歴史学の著書だが、頭の回転が速い読者なら、それが現実政治を転覆させるほどの性質を有しているとういうことを感じ取ることだろう。たとえば、それは中共政権の合法性に対して、厳しい挑戦を叩き付ける。


 周知のように、権力の由来には合法性がなければならない。第一に、伝統社会の皇位継承の嫡長子制と現代社会の普通選挙制のように、法統(支配権力の法的根拠)に合致し、法定の継承関係を有していること。第二に、よしんば旧来の法統を否定する暴力革命であったとしても、やはり全面的な憲法制定と普通選挙によってこれを追認しなければならない。合法問題を解決しない限り、政権はずっと「財産権未定」の争奪状態の只中にあり続ける。民主革命は旧法統を廃し、普通選挙によって直接人民と契約を締結する。共産革命もまた「旧」法統(ひとまず復辟は不問に付す)を廃すが、しかし、誰一人として真の国民全体の憲法制定、民主的選挙を実行しようとした者はいなかった。ゆえに権力に合法的な由来は存在せず、銃剣によってこれを維持せざるを得ない。第三に、不法な政権奪取であったとしても、もし情理に悖らないものであるなら、まだ融通を利かす余地がある。共産政権と第一条とは関わりがないことは明白である。中共は懸命に残りの二条に自らの合法性の根拠を求めようとするが、北伐、二度の国共合作、特に抗日戦争における中共の行為と地位を見るならば、結論はやはり不法でしかありえず、合法の道理は全くない。真面目に辛灝年氏の著書を読んだならば、これが決して言い過ぎではないということがわかるだろう。


 指摘しなければならないのは次のことである。中共は辛亥革命を発端とする民主革命の伝統を肯定し、孫中山先生を先行者として奉じている(実際は否定を加えているが)。この基礎の上で、「中華民国」の国号を改めることなく、内戦を革命陣営内部の権力抗争として解釈し、徐々に中華民国憲法を改めていったなら、法統の合う上辺の現象をつくることができたであろう。残念ながら、毛沢東は自らの本質と「開国改元」者たらんとする誘惑により、ついに「中華人民共和国」を建設してしまった。中共政権はついに源のない水、根のない木となった。仮に改元の一事がなく、法統を継いだとして、後の国連の代表権争い、二つの中国論争はまたどこから生じたのか? 辛灝年の理論が成り立つならば、「中華人民共和国」は「中華民国」史上の一つの専制復辟期に過ぎない。そうであるならば、毛沢東によって誤って失われた「中華民国」の法統は、一党独裁の終結、帰宗認祖、危急存亡の国家の脈拍にこそあるのではないだろうか。フランス、イギリス、ロシアなどの国は、数十年を経た後に、転覆させられた「第一共和」に回帰して法統を受け継ぎ、共和を再建したのではなかったか。共和の再建の教訓とすべきであろう。私が思うに、この致命的挑戦は決して辛灝年氏の本意ではない。彼が歴史に足を踏み入れ、茨の道を切り開いてきたのは、もともと一つの歴史小説のために「真実」の足跡を追い求めようしたに過ぎない。14年の旅を経て、豊富な収穫を獲得し、多くの珍しい草花を手に入れられたのは、全く思いがけないことであった。これはまさに誠実な学術的労働の成果物である。文学は主題が先行すること、なかんずく政治的主題が先行することを忌諱するが、おそらく各種の学術もまた同じであろう。しかし、真実は必ず嘘を滅し、真実は必ず四方八方に向けて不思議な審判の力を発揮する。これは本来の真実という言葉の中に含まれている意味である。


 公開の講演であれ、プライベートの対話においてであれ、辛灝年氏は再三にわたって語る、もし大陸の学者たちによる歴史再考が目の前になかったなら、彼の成果は想像だにできなかったと。これは心底からの言葉である。この時代が権力と金の誘惑のもとに、いかなる地点にまで堕落してしまっているとしても、「武力や権勢に屈服せず、財産や地位に惑わされず、貧賤でも志を変えず」という古の教えを受け継いで闘争する者は必ずいる。辛灝年は間違いなくその一人である。ゆえに、本書は辛灝年の著作であるとともに、中国大陸の知識人たちの知恵の結晶でもあるのだ。 


1997年8月7日 プリンストンにて


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